商店街にみる日常の小さなデザイン

シャッター通りと呼ばれるような商店街が増加する一方で、いまなお賑わいを維持している商店街が東京の外れにある。砂町銀座商店街と呼ばれるこの商店街では、商店の多くが敷地からはみ出して商品を陳列している。幅3メートルほどの狭い通りに各々の店舗が両側からせり出してくるので、場合によっては、すれ違う歩行者にも気をつけねばならない。しかし、その通りの狭さと相まって、それぞれの店舗が競い合うように軒先を彩る様子はお祭りのように気分を高揚させる。
店舗の軒先は、通りを行き交う人々との交流が促進されるように機能しなければならない。いかに通りにアプローチし、そこを通過する人々と交流を持つのか、それに商店主は日々の知恵を働かせているようである。
例えば、その商店の通りに対しての意識を示すモノに「庇」がある。通りに向かって庇は、まるで触手を伸ばすように伸びている。向かい合う店舗の庇とぶつかりそうで、さながらちょっとしたアーケードを形成しているようにも見える。商店街を一定時間観察してみると、商店主は庇の長さを時間ごとに調整していることに気づく。日差しの強い日中は長く、夕方日差しが弱まると短くしている。もちろん強い日差しから商品を守る意味合いも多分にあるのだが、通りを行き交う人々への気遣いにも見えなくもない。このような箇所にも各商店の通りに対しての姿勢を感じることができる。

軒先の観察

店舗の軒先では、さまざまな〈モノ・コト〉が、そこで働く人々と通りを行く人々によって日常的に行われている。それをつぶさに観察することで、軒先を通して商店街への新たな視点を獲得できるのではないかと考えた。 ここで断片的ではあるが、軒先の観察の記録をいくつか示したい。

 

ポップアップ店舗

店舗の敷地をはみ出すように陳列台を設置してある。こちらが店舗の主戦場になっていることが多い。顧客とのコミュニケーションが発生しやすく、同じ商店街の全国チェーンの店舗と比較すると、個人商店の積極性がよくわかる。

 

あおぞらキッチン

ファサード幅いっぱいに開口しているやきとり屋。ステンレスで覆われたファサードは、調理場が通りに剥き出しになっているようで食欲をそそられる。

 

商品の花道

通りから顧客を店舗内に誘うのは至難の業である。そこで商品を通路の両脇に陳列して花道のようにしている。ご丁寧に玄関マットも二枚敷いている。

 

チャリンコドライブスルー

自転車に乗って商店街を訪れる人は非常に多い。そんな彼らは自転車から降りることなく、思い思いのスタイルで買物を楽しんでいる。

 

値札の集合写真

店舗の正面から値札を眺めてみると、すべての値札が、集合写真よろしくきちんと顔を出している。

 

雛壇的な陳列

通りからの見え方を重要視した階段状の陳列。

 

陳列のブリコラージュ

日常の業務で使っているものをモジュールとして商品陳列に転用している。商品の入れ替えや周辺環境の変化に柔軟に対応をする。

 

陳列の移動性

毎日の閉店時、敷地からはみ出している商品は片付けなければならない。そこで、移動することを前提に台車に商品を乗せている。前述のポップアップ店舗にも車輪が付いているものが多い。

 

ここで観察された〈モノ・コト〉は、いわゆるわかりやすい意味でのデザインではない。しかし、このような日常の些細な創意工夫やふるまい=小さなデザインが、新たな〈モノ・コト〉へのきっかけとなりえるのではないか。

砂町銀座商店街は、いまなお昭和の雰囲気を色濃く残していると評されることが多い。しかし、このように安易にノスタルジーで語ることには抵抗を覚える。そのイメージには時代遅れの崖っぷち感が含まれていて、商店街を見るときの視点のあり様を曇らせる。今回、商店街をできるだけフラットな視点で観察すること試みた。すると、計画的というよりは、その都度、日々の問題に向きあいながら、商売の最適性を探っている商店主のリアルな息づかいが浮かび上がってきた。訪問に際して、そもそも商店街は面白いのかという疑問があった。しかし、それはすぐに間違いだと気づかされた。そこには知恵と工夫を重ねながら、日々の営みをしている今の生活者の姿があったからだ。そして、そのような日常に対する能動的な試行錯誤の姿勢こそが根源的なデザインの発露である。
(文:西山誠)

この投稿記事は、機関誌vol.21-1「特集 商店街と観光」から文章を抜粋、編集して掲載しています。

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